東日本大震災による災害のお見舞い

3月11日に東北地方をはじめ東日本に甚大な被害を及ぼした、東日本大震災により被災された皆様、そのご家族の方々に謹んでお見舞い申し上げます。

まだ余震が続くなど不安定な状況です。
どうぞ充分にお気を付けください。
一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

真多呂人形サービスへの影響について(商品・カタログのお届け、情報配信等)をご案内させて頂きます。

商品・カタログのお届けに関するお詫びとお知らせ

地震の影響により、一部地域に配送の制限・休止、遅延等の影響が出ております。
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木目込み人形と真多呂人形の歴史(4)

平安の美を求めた、真多呂の新たな木目込み人形

真多呂人形

現在の木目込み人形の世界

こうして数多くの人形制作ができるようになった木目込み人形は、さらに発展していきます。

二代目名人、吉野喜代治の手法を伝授し、現代の木目込み人形を確立したのが、初代金林真多呂です。
彼は喜代治のほかに、同時代の名人春山からも伝統技法を受け継ぎ、二人の師の教えに自分自身の創意を加えて、「真多呂人形」を完成させました。

真多呂人形は、これまでの浮世絵、歌舞伎物、あるいは童物のほかに、平安朝の美を題材にした平安絵巻の雅やかな世界のものまでも表現しています。
また、人形の大きさもやや大きめにして、いままでの木目込み人形のイメージを一新して、現在の木目込み人形の世界を築きました。

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木目込み人形と真多呂人形の歴史(3)

明治時代の画期的な木目込み人形の変化

木目込み人形の制作

木目込み人形の原型づくり

明治の初め頃までは、誕生当時のままの技法で、木目込み人形は作られてきました。
それは、柳の木を一体ずつ彫刻して仕上げるために、時間と手間がたいへんかかり、制作個数が極端に限られたものでした。

その頃、京都で賀茂人形作りの修行を積んだ人形師、吉野栄吉は「なんとかしてこの人形を一般庶民に普及させたい」という一念でいろいろと研究を重ね、じつに画期的な手法を考案しました。

それは、従来どおりに木を彫って作った人形を原型にして、松やにを利用した鋳型に、木(主に桐の木)の粉末と生麩糊をまぜ合わせた桐塑を詰め込み、原型とまったく同じ塑像を作り出すというものでした。
この塑像は木のように彫ったり削ったりでき、型崩れしない、まさに理想的なものだったのです。

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木目込み人形と真多呂人形の歴史(2)

素朴な賀茂人形の特徴

賀茂人形

もてはやされる珍しい木目込み手法と、豊かな趣

賀茂人形が作られる以前では、人形と言えば、縫い合わせた着物を着せる、いわゆる「着せ付け人形」か、木彫りに直接彩色を施したものばかりでしたので、この木彫りに筋を入れて衣裳を木目込むという新しい手法による人形は、たいへん珍しがられたようです。

初めのうちは「賀茂人形」あるいは「柳人形」と呼ばれましたが、名人の大八郎が有名になってからは、「大八郎人形」とか「大八人形」といって京都の高級なみやげ物としてもてはやされました。

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木目込み人形と真多呂人形の歴史(1)

木目込み人形のルーツ、賀茂人形の誕生

賀茂人形

木目込み人形の創始者・高橋忠重

木目込み人形は、いまからおよそ260年前の江戸元文年間に、京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重という人が作った小ぶりの人形が「木目込み人形」の始まりとされています。

高橋忠重は、当時、上賀茂神社に仕える堀川家で宮大工をしていました。
この堀川家は神官で、代々、祭り事に使用される諸道具を上賀茂神社に納める職にありました。
その道具の一つである「柳営(神事に用いられる小物を入れる箱)」を作った時の端材を、暇なおりに忠重が削って人形にしていたようです。

その人形は鴨川のほとりの柳の木を素材に木彫をほどこし、そこに溝を掘り神官の衣裳の端切れをきめこんだものでした。
木彫りのあとに磨きをかけることもなく、青みがかった柳の木肌がそのまま生かされた、とても味わい深い人形です。

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真多呂人形博物館1周年

今日で真多呂人形博物館をオープンしてから1年が経ちます。

紹介した変わり雛は約30体になります。

上の写真は「運命」という作品です。
天女の羽衣をつけ、かぐや姫が月へ帰る場面を表しています。

とても美しい作品なので、ぜひ他の画像もご覧になってください。

真多呂人形【運命】

今後もよろしくお願いいたします。

サクラとお花見の歴史

今日は日本のナゾについて考えてみます。

なぜお花見といえば桜なのでしょうか。
日本古来より大切にされてきた花は、梅と橘。
雛人形にもこれらが飾られます。(今では、桜と橘が飾られる雛人形もありますが・・・)

日本人はいつから桜の開花情報をテレビでやるほどに桜に注目し始めたのでしょうか。
代表的な2つの歌集をみてみましょう。

◎万葉集の時代(7世紀後半〜8世紀後半)
万葉集に収められている歌の中の約119首が梅の歌、約43首が桜の歌になります。この時代はまだ梅が主役だったようです。

◎古今和歌集の時代(905年成立)
春の歌134首のうち、大部分が桜について詠んだ歌になっています。この時代にはもう梅から桜に主役交代がされていたようです。

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日本の伝統芸能

こんにちは!
寒い日が続きますね。
今日は東京で雪がちらついた所もあるのでしょうか。

さて、2007年は新しい趣味に挑戦してみませんか?
たとえば伝統芸能などはどうでしょうか。

伝統芸能とは・・・日本で近世以前に創始され、現在も継承されている芸能のこと。
歌・演劇・舞踊・音楽・工芸・芸道などがあります。

今日はその中でも「茶道」に注目してみます。

「茶道」は芸道の1つ。
芸道には、茶道・華道・香道・書道・盆栽 があります。

茶道は、伝統的な様式にのっとって客人に抹茶をふるまいます。
お茶を点てて飲むことを楽しむだけでなく、精神の向上、茶道具の美術など、広い分野にまたがる総合芸術として発展しました。

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伊勢物語 東下り(2)

こんにちは☆
前回の「伊勢物語 東下り(1)」の続きです。

「かきつばた」を題に歌を詠み、皆が涙したところからでしたね。


行き行きて駿河の国に至りぬ。
宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、
つた、かへでは茂り、もの心細く、
すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。

「かかる道は、いかでかいまする。」
と言ふを見れば、見し人なりけり。
京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

『駿河なる うつの山辺の うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり』

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伊勢物語 東下り(1)

前回は、業平を主人公にした「伊勢物語 六段 芥川」を取り上げました。
人が鬼に食べられてしまう、ちょっと恐ろしい話でしたね。

「伊勢物語 芥川」に続き、今日は「九段 東下り」を、二回に渡って取り上げてみたいと思います。


九段 東下り

昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、
「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに。」とて行きけり。
もとより友とする人、一人二人して行きけり。
道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。

昔、男がいた。その男は、自分自身を必要のない者だと思って、
「都には住むまい、東国の方に住むところを探しにいこう」と思って行ったそうだ。
以前からの友人を一人、二人、と連れて行った。
道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。

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